2015年 01月 10日
歴史を訪ねて冬の旅 ⑧京都・岩倉 |
コープイン京都で元旦を迎えるのがここ数年恒例になって
いる。夜半に雨が降ったようだが、朝食のときにはあがっ
ていた。
ここでの朝食はおせちのバッフェである。
正月だけの特別メニューで、京都の丸餅の入った雑煮が食
べられる。
欲張って、みんな持ってきたのでおなかがいっぱいになっ
た。
今回の京都は岩倉に行こうと思う。
目的地は実相院と岩倉具視卿の旧居だ。
まず実相院をめざす。
地下鉄で一番北の京都国際会館からバスも出ているのだが、
タクシーでもそう遠くないので利用した。
運転手さんに岩倉具視の旧居の場所を尋ねると、実相院のご
く近くらしい。
実相院は鎌倉時代創建の門跡寺院として有名である。
もう少し北に行くともっと有名な三千院があるが、天皇家の
血を引くかたが住職になり、皇室から支援を受けて栄えた寺
院である。
こうした門跡寺院には、貴重な文化財が残されていることが
多いが、実相院には狩野派の見事なふすま絵や、後陽成天皇
真筆のかな文字使いのいわば辞書とか、いろいろな天皇の宸
翰(文字・文書や絵など)が残されている。
さらには江戸期を通して綴られた「実相院日記」があり、幕
末期の京都の様子などもかなりはっきり書かれてあるそうだ。
その中には件の岩倉具視がこの寺に一時期仮泊していたり、
勤皇の志士と密談したりという際どいものまで書かれてある
そうだから興味深い。
部屋の中を撮影するのは禁止。廊下から庭を撮るのだけ許さ
れている。
庭もたいへん結構だが、襖絵がなんといっても素晴らしい。
狩野派の絵師が精魂傾けて描いた作品が各部屋を飾り、その
写実も捨象も対象に食い込んでいて、現代においてもなんら
古臭くない。
庭はもう一つ、石庭がある。これがまた立派だ。
銀閣寺の銀砂灘(ぎんしゃだん)の庭を思わせる砂の庭園で
ある。銀閣寺には向月台とよばれる丸い砂盛りがあって、月
光を受けて庭をみせる仕掛けがあるが、こちらの砂盛りもや
はり同じ効果をねらっているように思える。
こちらの砂盛りは、廊下から見ると手前が垂直に檜皮で切ら
れており、月の光と砂山の影によって幻想の世界を演出して
いるかのようであった。
門跡さんたちは、そんな光景を見ながら、京の喧騒を忘れて
いたのかも知れない。
実相院で甘い感傷にひたったあと、やや現実的な具視卿の旧
宅に向かった。
幕末、井伊大老が桜田門外で暗殺されたあと、政情の安定を
図るための公武合体論に与した岩倉卿は侍従として天皇に妹
の和宮の降嫁を献策し、実現する。
その後攘夷派の巻き返しで、降嫁問題が問われ、岩倉卿は蟄
居謹慎を命じられ、岩倉の里でしばらく隠棲することになる。
それからしばらくし、攘夷討幕派の志士たちから、朝廷内部
で働ける人物と評価され、歴史の表舞台にふたたび登場する
ことになる。以前の公武合体論は捨て、王政復古を目指して
活躍し、明治政府の重鎮となるわけである。
岩倉具視旧宅
今、家は市が管理しており、年末年始は閉館であった。
仕方がないので、道をはさんだ向かいのアパートの階段を上り
そこから1枚。
奥のわら葺屋根の家がそれで、玄関と書斎兼寝室の二部屋しか
なかったという。
通り沿いの白い塀などはもちろん最近のもの。
京都の旅はここまでにし、午後2時くらいに新幹線の人となっ
た。
そのあとすぐ、京都に雪が降り出し、3日間続いたという。
いる。夜半に雨が降ったようだが、朝食のときにはあがっ
ていた。
ここでの朝食はおせちのバッフェである。
正月だけの特別メニューで、京都の丸餅の入った雑煮が食
べられる。
欲張って、みんな持ってきたのでおなかがいっぱいになっ
た。
今回の京都は岩倉に行こうと思う。
目的地は実相院と岩倉具視卿の旧居だ。
まず実相院をめざす。
地下鉄で一番北の京都国際会館からバスも出ているのだが、
タクシーでもそう遠くないので利用した。
運転手さんに岩倉具視の旧居の場所を尋ねると、実相院のご
く近くらしい。
実相院は鎌倉時代創建の門跡寺院として有名である。
もう少し北に行くともっと有名な三千院があるが、天皇家の
血を引くかたが住職になり、皇室から支援を受けて栄えた寺
院である。
こうした門跡寺院には、貴重な文化財が残されていることが
多いが、実相院には狩野派の見事なふすま絵や、後陽成天皇
真筆のかな文字使いのいわば辞書とか、いろいろな天皇の宸
翰(文字・文書や絵など)が残されている。
さらには江戸期を通して綴られた「実相院日記」があり、幕
末期の京都の様子などもかなりはっきり書かれてあるそうだ。
その中には件の岩倉具視がこの寺に一時期仮泊していたり、
勤皇の志士と密談したりという際どいものまで書かれてある
そうだから興味深い。
部屋の中を撮影するのは禁止。廊下から庭を撮るのだけ許さ
れている。
庭もたいへん結構だが、襖絵がなんといっても素晴らしい。
狩野派の絵師が精魂傾けて描いた作品が各部屋を飾り、その
写実も捨象も対象に食い込んでいて、現代においてもなんら
古臭くない。
庭はもう一つ、石庭がある。これがまた立派だ。
銀閣寺の銀砂灘(ぎんしゃだん)の庭を思わせる砂の庭園で
ある。銀閣寺には向月台とよばれる丸い砂盛りがあって、月
光を受けて庭をみせる仕掛けがあるが、こちらの砂盛りもや
はり同じ効果をねらっているように思える。
こちらの砂盛りは、廊下から見ると手前が垂直に檜皮で切ら
れており、月の光と砂山の影によって幻想の世界を演出して
いるかのようであった。
門跡さんたちは、そんな光景を見ながら、京の喧騒を忘れて
いたのかも知れない。
実相院で甘い感傷にひたったあと、やや現実的な具視卿の旧
宅に向かった。
幕末、井伊大老が桜田門外で暗殺されたあと、政情の安定を
図るための公武合体論に与した岩倉卿は侍従として天皇に妹
の和宮の降嫁を献策し、実現する。
その後攘夷派の巻き返しで、降嫁問題が問われ、岩倉卿は蟄
居謹慎を命じられ、岩倉の里でしばらく隠棲することになる。
それからしばらくし、攘夷討幕派の志士たちから、朝廷内部
で働ける人物と評価され、歴史の表舞台にふたたび登場する
ことになる。以前の公武合体論は捨て、王政復古を目指して
活躍し、明治政府の重鎮となるわけである。
岩倉具視旧宅
今、家は市が管理しており、年末年始は閉館であった。
仕方がないので、道をはさんだ向かいのアパートの階段を上り
そこから1枚。
奥のわら葺屋根の家がそれで、玄関と書斎兼寝室の二部屋しか
なかったという。
通り沿いの白い塀などはもちろん最近のもの。
京都の旅はここまでにし、午後2時くらいに新幹線の人となっ
た。
そのあとすぐ、京都に雪が降り出し、3日間続いたという。
by katodiary
| 2015-01-10 19:39
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