2007年 04月 06日
テキストの注文 |
昨日は英語学校で使うテキストの注文に埼玉大生協に行った。お世話になった大学生協に少しでも恩返しと意味でである。現在はT専務ががんばっている。店長さんの顔は替わったが数人の職員は見知った顔である。
今年1月に改装した書籍・購買部
私がお茶の水女子大生協の専務をしていたころ、学生委員だった女の子もいまは中堅の職員として頑張っていた。あの頃は東京地連の担当として、よくお茶大の学生委員の指導をしていただいた。
こういう話は大学生協にいた人しか分からない。
埼玉大で残念なのはSHIPSというカフェテリア食堂がなくなり、ローソンというコンビニが入居してしまったこと。大学の株式会社化の一端で、国の財政破綻がこういうところにも現れている。
私は当時のK専務と一緒にSHIPSを作った。私は当時、大学生協東京事業連合にいて、食堂部の企画担当であった。当時はまだ大量給食という概念だけで、喫食者へのホスピタリティなどほとんどなかった時代で、そこに欧米の近代的な温度管理や衛生管理をもったカフェテリア食堂を作ったのだ。
そしてさらに、空間デザインやメニュー設計、食堂スタッフの働き方、モダンな制服までトータルのコンセプト・ワークを行った。こうしたアイデアは、お茶大のカフェテリア「マルシェ」とスパゲティショップ「リモーネ」を旧業態からリモデルした経験によって得たものであった。
こうしたコンセプト・プランを作ったのは当時、博報堂に勤め始めたS本君によった。彼は東京工業大の学生委員であった。彼の豊かな感性や豊富な知識により、見事なコンセプトが出来上がった。
K専務以下、食堂のスタッフもありとあらゆる努力をしてくれた。学校の施設課も学内外の抵抗勢力と戦ってくれた。最終局面では施設課長が命をかけて生協を守ってくれた。
出来上がったのは素晴らしいカフェテリアであった。ワンレーンではあるが、冷たいケーキやフルーツもサラダのショーケースにあり、和・洋・中華のホットメニューも斬新でおいしかった。
コーヒーや紅茶、ジュースやコーラも安くおいしく提供された。
まさにそこで食事をすることが絵になるような空間の中で、学生達は食事をし、憩い、話しこんだ。長居するグループに早く席を開けてくれるよう頼むのは、店長の仕事のひとつでもあった。
全国の大学生協でも注目を浴び、新大学会館建設のときの生協からの提案のモデル事例といってもいい内容であった。実際、金沢大学がお城から郊外に移転したとき、新キャンパスの食堂づくりの提案を東京事業連合で行ったのだが、その基本概念はSHIPSのものだ。
しかし、専務が替わり、店長やスタッフの女性マネジャーもみなさいたまコープに移籍し、数年経つと次第に作った頃のコンセプトが守られなくなり、それ自体を知らない人すらいたようだ。
専務も2~3年で替わっていく。ときとして、深く根ざしているハズの学内の生協支持力が弱くなることもある。そして、文部省の方針、大学の株式会社化が始まる。
簡単にいえば、国の借金を大学に振り替えていこうという動きだ。 京大、東大にもローソンやマクドナルドが入り、学内は生協の天国ではなくなった。
競合で互いによいサービスを学生・職員に・・・という言い訳で、大学の家賃収入を生み出したり、施設改修費用を業者負担にして出費を抑えようというわけだ。
SHIPSを運営する生協の側にも主体的な問題が生じていたようだ。職員の数を減らすために近くの第2食堂からメニューを運んで提供し、キッチンは部分的な使用に留めたという話も聞いた。
経営の問題だから、いろいろな事情もあったのだろう。おそらく利用者も激減してしまったのかもしれない。そこを大学側(課長職以上は文部省人事)に突かれたのだろう。
私もK専務も大切なコンセプトを守ることを、次世代につなぎきれなかったのが反省点である。しかし、大学生協から地域生協の移籍してしまった場合にはそれは困難なことである。
今のT専務はそのへんのことをよく理解していて、いま学内の関係改善に必死に取り組んでいる。
そして、SHIPSのあとに入ったローソンに対し、生協が完全に打ち勝っているという。
なぜなら、ローソンはノートもパンもみな定価で販売しているからだ。学生はみな経済的に苦しいのだ。だから資金を出し合って生協をつくり、安く購入しているのだ。
ローソンの導入で、逆に生協が学内に必要な理由が浮き彫りになっている。
最近、ローソンの店長が専務のところにきて、値段を上げるように言ってきたという。儲けて大学に賃料を払って、大学を豊かにすれば、まわり回って学生に帰ってくるはずと・・・。
バカな話だ。他の大学ではコンビニが撤退する事例が出たという。そうであろう。
大学生協ガンバレ。私も、N瀬さん(以前の上司)を手伝って我々ロートルと現役をつなぐお手伝いをしようと思っている。
埼玉大の満開の桜
今年1月に改装した書籍・購買部
私がお茶の水女子大生協の専務をしていたころ、学生委員だった女の子もいまは中堅の職員として頑張っていた。あの頃は東京地連の担当として、よくお茶大の学生委員の指導をしていただいた。
こういう話は大学生協にいた人しか分からない。
埼玉大で残念なのはSHIPSというカフェテリア食堂がなくなり、ローソンというコンビニが入居してしまったこと。大学の株式会社化の一端で、国の財政破綻がこういうところにも現れている。
私は当時のK専務と一緒にSHIPSを作った。私は当時、大学生協東京事業連合にいて、食堂部の企画担当であった。当時はまだ大量給食という概念だけで、喫食者へのホスピタリティなどほとんどなかった時代で、そこに欧米の近代的な温度管理や衛生管理をもったカフェテリア食堂を作ったのだ。
そしてさらに、空間デザインやメニュー設計、食堂スタッフの働き方、モダンな制服までトータルのコンセプト・ワークを行った。こうしたアイデアは、お茶大のカフェテリア「マルシェ」とスパゲティショップ「リモーネ」を旧業態からリモデルした経験によって得たものであった。
こうしたコンセプト・プランを作ったのは当時、博報堂に勤め始めたS本君によった。彼は東京工業大の学生委員であった。彼の豊かな感性や豊富な知識により、見事なコンセプトが出来上がった。
K専務以下、食堂のスタッフもありとあらゆる努力をしてくれた。学校の施設課も学内外の抵抗勢力と戦ってくれた。最終局面では施設課長が命をかけて生協を守ってくれた。
出来上がったのは素晴らしいカフェテリアであった。ワンレーンではあるが、冷たいケーキやフルーツもサラダのショーケースにあり、和・洋・中華のホットメニューも斬新でおいしかった。
コーヒーや紅茶、ジュースやコーラも安くおいしく提供された。
まさにそこで食事をすることが絵になるような空間の中で、学生達は食事をし、憩い、話しこんだ。長居するグループに早く席を開けてくれるよう頼むのは、店長の仕事のひとつでもあった。
全国の大学生協でも注目を浴び、新大学会館建設のときの生協からの提案のモデル事例といってもいい内容であった。実際、金沢大学がお城から郊外に移転したとき、新キャンパスの食堂づくりの提案を東京事業連合で行ったのだが、その基本概念はSHIPSのものだ。
しかし、専務が替わり、店長やスタッフの女性マネジャーもみなさいたまコープに移籍し、数年経つと次第に作った頃のコンセプトが守られなくなり、それ自体を知らない人すらいたようだ。
専務も2~3年で替わっていく。ときとして、深く根ざしているハズの学内の生協支持力が弱くなることもある。そして、文部省の方針、大学の株式会社化が始まる。
簡単にいえば、国の借金を大学に振り替えていこうという動きだ。 京大、東大にもローソンやマクドナルドが入り、学内は生協の天国ではなくなった。
競合で互いによいサービスを学生・職員に・・・という言い訳で、大学の家賃収入を生み出したり、施設改修費用を業者負担にして出費を抑えようというわけだ。
SHIPSを運営する生協の側にも主体的な問題が生じていたようだ。職員の数を減らすために近くの第2食堂からメニューを運んで提供し、キッチンは部分的な使用に留めたという話も聞いた。
経営の問題だから、いろいろな事情もあったのだろう。おそらく利用者も激減してしまったのかもしれない。そこを大学側(課長職以上は文部省人事)に突かれたのだろう。
私もK専務も大切なコンセプトを守ることを、次世代につなぎきれなかったのが反省点である。しかし、大学生協から地域生協の移籍してしまった場合にはそれは困難なことである。
今のT専務はそのへんのことをよく理解していて、いま学内の関係改善に必死に取り組んでいる。
そして、SHIPSのあとに入ったローソンに対し、生協が完全に打ち勝っているという。
なぜなら、ローソンはノートもパンもみな定価で販売しているからだ。学生はみな経済的に苦しいのだ。だから資金を出し合って生協をつくり、安く購入しているのだ。
ローソンの導入で、逆に生協が学内に必要な理由が浮き彫りになっている。
最近、ローソンの店長が専務のところにきて、値段を上げるように言ってきたという。儲けて大学に賃料を払って、大学を豊かにすれば、まわり回って学生に帰ってくるはずと・・・。
バカな話だ。他の大学ではコンビニが撤退する事例が出たという。そうであろう。
大学生協ガンバレ。私も、N瀬さん(以前の上司)を手伝って我々ロートルと現役をつなぐお手伝いをしようと思っている。
埼玉大の満開の桜
by katodiary
| 2007-04-06 13:16
| 英語教室をつくる
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