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2009年 12月 26日
12月20日、With・ウィズで3回目のクリスマス
アクティビティが開かれました。 クリスマス向けのキャンドルケーキづくりです。 私たち学校のスタツフやネイテイブスピーカー を入れると20名の参加がありました。 例によってケーキ作りの指導は階下にあるケー キショップ「エンドー」さんの遠藤姉妹です。 日本語で作り方を説明し、ネイテイブがすぐ英語 に翻訳して話します。 ですから、英語+料理教室といった雰囲気です。 近所のKIDSもお父さんたちと参加しています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 皆さんとても上手につくれました。 同時にフルーツポンチも作ってみんなで頂きました。 大人はちょっとシャンペンも入れて・・・・ とても楽しかったと皆さんから大好評をいただきました ので、このような行事をこれからもしていきたいと思い ます。
2008年 10月 14日
ついにやってしまいました。ギックリ腰です。
10月12日(日曜日)、天気はよく晴れていました。大宮グリーンTCには二人のキャデイさんと思しき人がいました。 そう、このお二人です。 ![]() テニスコートにはちょっと似合いそうにないイデタチです。ゴルフバッグを押しているほうが似合っている。 ![]() やはりそうでしょ? でもバックのリターンはなかなかよろしい。 ![]() どういうチームと闘っているかというと、なんと、大の男が二人して・・・。 ![]() この男性お二人は大宮グリーンTCでも指折りのうまい人たちです。 ついでにいうと、彼女たちはクラブが運営するスクールの生徒さんなのです。 大人げない試合も終わったので、ミックスをして頂きました。アッという間に試合は終わり、残念な結果になったのは ![]() 良い結果になってピースサインをしているのはこのチームでした。 ![]() とまア、ここまでは良かったのです。その日1日はまア、良かったのです。5試合くらいしましたかねー。でも、そうとう疲れてはいました。帰りのバイクを運転していてかなり、背中が痛かったのです。 家に帰り、風呂に入り、一杯やって、早めに寝て、・・・・話が長いねどうも・・・。 そして迎えた10月13日は体育の日です。 やってしまいました。昼前には1試合して、なにか違和感があったものの、筋肉痛くらいに考えていたのが午後の最後の試合で右足が裏返ってネット前で転倒したのです。その時に腰をへんにひねって、しゃがむと痛みを感じたのです。 そのあともプレイはできました。でもしゃがむと痛いのです。 家に帰ってくると、左腰を曲げたりかがんだりができません。ものすごく痛みます。 テニスのやりすぎはできない年齢になったようです。ウーム。これからはいい試合をすこしだけしよう。つちやさんで「てふ」というおいしい冷酒を少しだけ飲むように・・・。
2007年 08月 25日
ようやく夏休みになったのでお墓参りをして、信州に遊びに行ってきました。行先は妙高燕温泉、妙高パインバレー、草津温泉、そして帰りに北軽井沢から白糸の滝をまわって帰ってきました。
関東地方は大変な暑さでしたが、向こうでは涼しくすごせてラッキーでした。 まずはソバということで、野尻湖近くのソバ道場で 燕温泉は山の奥 ![]() ブナの林の中の1軒宿 ![]() 黒姫高原コスモス園 ![]() 笹ヶ峰の牧場 ![]() 妙高パインバレーのホテルの花火(豪華30発) ![]() 妙高山の雄姿 ・ ホテルの窓から ![]() 五十肩もなんのその ![]() フォームは良い ![]() 志賀高原、横手山を越えて草津へ ![]() 草津のペンション サトウルーエ ![]() 涼風心地よし、軽井沢の白糸の滝 ![]() 自然の流れの美しさ ![]()
2007年 01月 24日
今日、カナダ滞在中の記録をまとめるために、新しいブログを立ち上げました。1年間住んでいたBC州ビクトリア市の暮らしと英語学校、ロッキーやプリンスエドワード島(赤毛のアンの島)など東部の旅行記など、カナダの良さをたくさんお伝えしようと思っています。
ぜひ、右欄にあるエキサイトブログから「カナダからの手紙」をクリックしてみて下さい。 ビクトリア市のインナーハーヴァー ![]() 今日は新ブログ立ち上げ記念・・・というか、宣伝のためにカナダの写真を掲載しましょう。 ビクトリアの観光ポイント、ブッチャートガーデン ![]() トロントCNタワー(世界一の高さ) ![]() ナイアガラの滝(カナダ滝) ![]() 国会議事堂前庭の衛兵交替パレード(オタワ) ![]() 今日からカナダの旅が始まります。「カナダからの手紙」をご覧ください。なお、今までどおり、「今日も元気で」を続けて参ります。末永くお付き合いのほどを。
2007年 01月 14日
2昼夜すぎても糠水から乳酸菌が育たない。ぬかったか?気温が低いからかなア・・・。新しく混ぜ物のない米ぬかを買ってきて仕込んでみたのだが。今晩ゆっくり、対策を考えよう。
ヨーロッパで考えたこと 12月23日掲載 今日、高輪の泉岳寺に先祖の墓参りに行ったというのは冗談で、もちろん四十七士の墓参りである。品川駅からいくつかの寺をまわり、細川邸の自刃のあとを見たりして泉岳寺にいく。門前には数軒のみやげ屋があり、討ち入りモナカなどを売っていた。四十七士の墓の前にお線香を買えるところがあり、100円で墓前に供えることができる。 ![]() ![]() ![]() ヴェネツイアはどのようにしてできたのか? ヨーロッパ旅行中に思ったこと、疑問なことを帰国後に調べたりして書いています。 水の都は不思議の都でもある。世界中にこのような都市はほかにない。どのようにしてこの美しい水の都が出来上がったのだろう。 ![]() ![]() ヴェネツイアはもとはアドリア海の干潟にある小島であったという。5世紀ころに北のゲルマンやフン族がこのあたりに侵入し、逃げ場を失った住民の一部がラグーンに浮かぶ小島に逃れたという。それが海に浮かぶ街の始まりだったようで、クイを打ち込み、土を運んで土地づくりを続け、やがて9世紀の初めにビザンチン帝国の支配のもとで自治権を獲得したという。それ以来、北イタリアでの都市国家として栄え、13世紀には中国を訪れたマルコ・ポーロを生んでいる。 サン・マルコ寺院 ![]() ![]() もう一人のマルコがヴェネツイアにはいた。とは言ってもその人は聖マルコで、エジプトのアレキサンドリアの地下で静かに眠っていたのだが、西暦828年に守護聖人を求めるヴェネツイア人によって掘り出され、ヴェネツイアを守る神としてサン・マルコ寺院に祭られたのだ。 サン・マルコ広場 ![]() ベネツイアの歴史は本当に面白いが、これからはそう楽観できない事情がある。それが水位の上昇問題だ。大潮、気圧の変化、アドリア海の南風シロッコの3つの要因でときとして水位が上がり、サン・マルコ広場が最大1メートルも水没する。さらに本土側の工業地帯の水の汲み上げや地球の温暖化がいっそう深刻さを加えている。 この問題はピサの斜塔の傾斜を止めるほど簡単ではないようだし、世界遺産としてのヴェネツイアの今世紀の大きな課題となるだろう。 なんとかして、この不思議で美しい都市、ヴェネツイアを残してほしいものである。 < 前のページ次のページ >
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