2012年 08月 17日
アルプス登山 |
ようやくSummer Vacation がやってきた。と思ったら
もう終わってしまったが、私なりに短いが充実した夏休
みを過ごすことができた。
墓参り、北アルプス登山、そしてテニス。
8月9日、午後2時の英語レッスンを終え、父母の墓が
ある大宮の青葉園に行った。墓所にさつきが2本あって
小枝を伸ばし放題にしていて、その剪定に時間がかかっ
たが、どなたが来てもよいように掃除をしておいた。
墓が近いというのは助かる。
さて、登山だが、始まりは学生のころで、クラスメート
達と北ア、八ツ、奥秩父などに行った。その後就職して
からも「山の会」を作って、あちこちの山に行った。
かなり昔だが、子供と穂高や尾瀬などにも出かけたし、
その後、生協の旅行部に所属していたころ、バス登山の
企画を主催して関東近県の山に添乗員として出かけてい
た時期もあった。
英語学校を主宰してからは出かけていなかったが、先日
NHKの番組で北アルプスの山の風景を見て、なにかし
ら心が動いてしまった。
表銀座縦走コース 初日
今回のコースは表銀座縦走コースといわれるもので、燕
岳から、槍ヶ岳を縦走し上高地におりてくる3泊4日の
コースであるが、歳もトシだし、前日に中房温泉泊の4
泊5日というゆったりプランにした。
8月10日、新幹線の長野行きに乗る。長野、松本と乗
り継ぎ、穂高町に着いたのが午後1時半。中房温泉行き
のバスは1時間後だった。
そのマイクロバスは有明山を南からふところ深く周りこ
み、山猿達のあるく脇を静かに通り越して、1時間後、
有明荘に着いた。
以前は国民宿舎だったそうだが、穂高町が安く買い取り
運営を燕山荘グループに委託している。
硫黄の匂いがわずかながらも漂い、深山の趣きをますま
す印象づけている。明日からはしばらく入れなくなる露
天風呂で体をゆっくり休める。
11日、早朝4時起床、5時出発。一路、燕岳(つばく
ろだけ)に向かう。しばらくは登山口までコンクリート
の道、15分ほどで、登山口。
ここから合戦尾根と呼ばれる急登となる。
4日分の着替えやレインウエア、ガスコンロ、水や副食
料などでザックは17キロほどだった。
これが歳を重ねた我が身に重い。実に重い。
以前、この同じコースを辿ったときはテント泊で食糧も
運んだため30キロはあった。といっても40年も昔の
話だ。
昔のことを言っててもせんない。
第一ベンチ、第二ベンチと進んで行く。展望もないし、
若い人達に道を譲りながら苦しい登りを続けた。
9時15分、ようやく合戦小屋に到着。
ここ名物の波田
のスイカを頂く。8分の1で800円ということは1個
6400円。
当然高いが、自分で持ってくることはできないから売れ
る。すごいところに目をつけたな。
波田というのは、上高地へ松本から行く際に島々線とい
うローカル線を使うのだが、終点の新島々の手前にある。
スイカはこのあたりのブランド品であって、当然ウマイ。
スイカ休憩をして再び歩き始めると、尾根に出て、視界
が開け、縦走路と槍ケ岳の頭がひょっこり見える。右のほ
うには燕山荘と燕岳も見える。ここらで標高2300m
ほどかな。
縦走コースにあるお天井岳と大天荘も見えた
苦しい登りはまだまだ続く。ぜんたい、このコースで苦
しい覚えはないのだが、今回はなぜこのように呼吸が続
かず、ハーハーゼーゼーとなってしまうのか?
苦しい思い出は全部消去されてしまったのか?
やはり歳なのだ!!
まあイイヤ。とにかく燕山荘まで頑張った。コースタイ
ムより多めに見た予定にそんなに遅れてはいない12時
ころの到着だった。稜線からは槍ヶ岳や穂高岳がよく見
えこれから進むお天井岳、常念岳などが見渡せた。
小屋の前のベンチで朝ごはんのお弁当を食べ、小屋の入
口外にザックを置いて頂上まで往復に行く。
うれしいことに、花崗岩砂の白い山肌にまだたくさんの
コマ草が咲いていた。
若いときにはほとんど見ることができず、あちこちの山
で必死に保護増殖の活動がされていたが、こうしてその
成果をみるのは、実は初めてである。
志賀高原の白根山、秋田駒などに行った際に目を凝らし
て探したが、時期が合わなかったのか、見られずじまい
だった。
時季がすこーし遅かったようだが、十分カレンな花を魅
せてくれた。
燕(つばくろ)岳の地質は火山活動の名残りである花崗
岩の砂礫であり、栄養素の極度の少なさによりほかの植
物の生育に適さず、コマ草だけが適応して高山植物の女
王として孤高の存在を示している。
長い間の風雪にさらされ、岩は奇妙な姿に変わっている。
このイルカ岩はなかでも皆に親しまれている。
頂上直下で猿発見 ハイ松の実を食べていた
頂上へは小屋から30分で行けた。小雨もパラついたが、
稜線漫歩を楽しんだ。
さて、これから「お天井岳」(おてんしょうだけ)に向
かう。2時に小屋を出発。大下りの頭(とう)までは小
さな上下を繰り返し、コマ草、岩ツメ草などの高山植物
を鑑賞しながら楽しい縦走。
大下りの頭は、お天井岳に上がる前の急降下で、こんな
に下がりたくないよーというくらい下がる。下がりきっ
た場所に喜作レリーフがあった。
喜作レリーフ
喜作さんは明治のころの山岳ガイドで今登っている喜作
新道を拓いた人だ。
ここからお天井岳を右に回り込むか、反対の左をまわり
こむか、選択肢が二つ。右は下り気味のお天井ヒュッテ
行きコース。左はゆるやかな登りの大天荘(だいてんそ
う)小屋行きコース。
ヒュッテの収容人数は70人、大天荘は200人。お盆
で混んでいることを考え、大きい小屋の大天荘を目指し
た。もう一つ、ヒュッテ行きは途中に灘場がいくつもあ
り、危険度が高い。
しかし、大天荘コースの登りの長いこと。じっくり苦し
むことができました。10歩進んでは止まり呼吸調整、
また10歩歩いては・・・の繰り返し。あー、そういえ
ば、30代の健康診断で「左心房肥大」という心電図の
結果をもらったことがあったが、やはり心臓に欠陥があ
るのか?
そういえばテニスでも、少し振られるとすぐゼーゼー、
ハーハーとなる。ウーム一度精密検査が必要だ。
それはそれとして、今日の朝、合戦尾根からこのコース
の写真を撮っていた。それがコレだ。
この左の稜線にあるのが大天荘小屋、右下から登山道が
上がっていくのが見える。
午後4時、朝から11時間の行動の末に今日の宿、大天
荘に着くことができた。
小屋は狙いどおり空いていたが、宿の説明ではお盆の天
気予報が雨・曇りなので予約のキャンセルが相ついだそ
うだ。雨でも登りに来る私はなんなんだ。そんな山男で
もないのだが・・・。
まあいい。
ウーム、しかし初日からこんなでは先が思いやられる・・・。
それと、もし次にここに来たら、絶対ヒュッテコースだ。
いろいろな思いが交錯するが、夕食時のビールがすべて
を忘れさせてくれた。シャンペンの小壜も重いので早く
も開けてしまった。ああ。
もう終わってしまったが、私なりに短いが充実した夏休
みを過ごすことができた。
墓参り、北アルプス登山、そしてテニス。
8月9日、午後2時の英語レッスンを終え、父母の墓が
ある大宮の青葉園に行った。墓所にさつきが2本あって
小枝を伸ばし放題にしていて、その剪定に時間がかかっ
たが、どなたが来てもよいように掃除をしておいた。
墓が近いというのは助かる。
さて、登山だが、始まりは学生のころで、クラスメート
達と北ア、八ツ、奥秩父などに行った。その後就職して
からも「山の会」を作って、あちこちの山に行った。
かなり昔だが、子供と穂高や尾瀬などにも出かけたし、
その後、生協の旅行部に所属していたころ、バス登山の
企画を主催して関東近県の山に添乗員として出かけてい
た時期もあった。
英語学校を主宰してからは出かけていなかったが、先日
NHKの番組で北アルプスの山の風景を見て、なにかし
ら心が動いてしまった。
表銀座縦走コース 初日
今回のコースは表銀座縦走コースといわれるもので、燕
岳から、槍ヶ岳を縦走し上高地におりてくる3泊4日の
コースであるが、歳もトシだし、前日に中房温泉泊の4
泊5日というゆったりプランにした。
8月10日、新幹線の長野行きに乗る。長野、松本と乗
り継ぎ、穂高町に着いたのが午後1時半。中房温泉行き
のバスは1時間後だった。
そのマイクロバスは有明山を南からふところ深く周りこ
み、山猿達のあるく脇を静かに通り越して、1時間後、
有明荘に着いた。
以前は国民宿舎だったそうだが、穂高町が安く買い取り
運営を燕山荘グループに委託している。
硫黄の匂いがわずかながらも漂い、深山の趣きをますま
す印象づけている。明日からはしばらく入れなくなる露
天風呂で体をゆっくり休める。
11日、早朝4時起床、5時出発。一路、燕岳(つばく
ろだけ)に向かう。しばらくは登山口までコンクリート
の道、15分ほどで、登山口。
ここから合戦尾根と呼ばれる急登となる。
4日分の着替えやレインウエア、ガスコンロ、水や副食
料などでザックは17キロほどだった。
これが歳を重ねた我が身に重い。実に重い。
以前、この同じコースを辿ったときはテント泊で食糧も
運んだため30キロはあった。といっても40年も昔の
話だ。
昔のことを言っててもせんない。
第一ベンチ、第二ベンチと進んで行く。展望もないし、
若い人達に道を譲りながら苦しい登りを続けた。
9時15分、ようやく合戦小屋に到着。
ここ名物の波田
のスイカを頂く。8分の1で800円ということは1個
6400円。
当然高いが、自分で持ってくることはできないから売れ
る。すごいところに目をつけたな。
波田というのは、上高地へ松本から行く際に島々線とい
うローカル線を使うのだが、終点の新島々の手前にある。
スイカはこのあたりのブランド品であって、当然ウマイ。
スイカ休憩をして再び歩き始めると、尾根に出て、視界
が開け、縦走路と槍ケ岳の頭がひょっこり見える。右のほ
うには燕山荘と燕岳も見える。ここらで標高2300m
ほどかな。
縦走コースにあるお天井岳と大天荘も見えた
苦しい登りはまだまだ続く。ぜんたい、このコースで苦
しい覚えはないのだが、今回はなぜこのように呼吸が続
かず、ハーハーゼーゼーとなってしまうのか?
苦しい思い出は全部消去されてしまったのか?
やはり歳なのだ!!
まあイイヤ。とにかく燕山荘まで頑張った。コースタイ
ムより多めに見た予定にそんなに遅れてはいない12時
ころの到着だった。稜線からは槍ヶ岳や穂高岳がよく見
えこれから進むお天井岳、常念岳などが見渡せた。
小屋の前のベンチで朝ごはんのお弁当を食べ、小屋の入
口外にザックを置いて頂上まで往復に行く。
うれしいことに、花崗岩砂の白い山肌にまだたくさんの
コマ草が咲いていた。
若いときにはほとんど見ることができず、あちこちの山
で必死に保護増殖の活動がされていたが、こうしてその
成果をみるのは、実は初めてである。
志賀高原の白根山、秋田駒などに行った際に目を凝らし
て探したが、時期が合わなかったのか、見られずじまい
だった。
時季がすこーし遅かったようだが、十分カレンな花を魅
せてくれた。
燕(つばくろ)岳の地質は火山活動の名残りである花崗
岩の砂礫であり、栄養素の極度の少なさによりほかの植
物の生育に適さず、コマ草だけが適応して高山植物の女
王として孤高の存在を示している。
長い間の風雪にさらされ、岩は奇妙な姿に変わっている。
このイルカ岩はなかでも皆に親しまれている。
頂上直下で猿発見 ハイ松の実を食べていた
頂上へは小屋から30分で行けた。小雨もパラついたが、
稜線漫歩を楽しんだ。
さて、これから「お天井岳」(おてんしょうだけ)に向
かう。2時に小屋を出発。大下りの頭(とう)までは小
さな上下を繰り返し、コマ草、岩ツメ草などの高山植物
を鑑賞しながら楽しい縦走。
大下りの頭は、お天井岳に上がる前の急降下で、こんな
に下がりたくないよーというくらい下がる。下がりきっ
た場所に喜作レリーフがあった。
喜作レリーフ
喜作さんは明治のころの山岳ガイドで今登っている喜作
新道を拓いた人だ。
ここからお天井岳を右に回り込むか、反対の左をまわり
こむか、選択肢が二つ。右は下り気味のお天井ヒュッテ
行きコース。左はゆるやかな登りの大天荘(だいてんそ
う)小屋行きコース。
ヒュッテの収容人数は70人、大天荘は200人。お盆
で混んでいることを考え、大きい小屋の大天荘を目指し
た。もう一つ、ヒュッテ行きは途中に灘場がいくつもあ
り、危険度が高い。
しかし、大天荘コースの登りの長いこと。じっくり苦し
むことができました。10歩進んでは止まり呼吸調整、
また10歩歩いては・・・の繰り返し。あー、そういえ
ば、30代の健康診断で「左心房肥大」という心電図の
結果をもらったことがあったが、やはり心臓に欠陥があ
るのか?
そういえばテニスでも、少し振られるとすぐゼーゼー、
ハーハーとなる。ウーム一度精密検査が必要だ。
それはそれとして、今日の朝、合戦尾根からこのコース
の写真を撮っていた。それがコレだ。
この左の稜線にあるのが大天荘小屋、右下から登山道が
上がっていくのが見える。
午後4時、朝から11時間の行動の末に今日の宿、大天
荘に着くことができた。
小屋は狙いどおり空いていたが、宿の説明ではお盆の天
気予報が雨・曇りなので予約のキャンセルが相ついだそ
うだ。雨でも登りに来る私はなんなんだ。そんな山男で
もないのだが・・・。
まあいい。
ウーム、しかし初日からこんなでは先が思いやられる・・・。
それと、もし次にここに来たら、絶対ヒュッテコースだ。
いろいろな思いが交錯するが、夕食時のビールがすべて
を忘れさせてくれた。シャンペンの小壜も重いので早く
も開けてしまった。ああ。
by katodiary
| 2012-08-17 13:43
| 山に行こう
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