2013年 01月 16日
京都・寺めぐり その2 |
化野(あだしの)念仏寺
その1、愛宕(おたぎ)念仏寺はコチラ
14日の月曜日、朝からの雨は雪に変わり、さいた
までも10センチの積雪になった。
テレビでは雪に弱い首都圏をアレコレ紹介していた。
とくに、振り袖を着て長靴で歩いている新成人の映
像は少し可哀そうであった。
さて、1月4日の京都でのお寺めぐりは、化野念仏寺に
移った。京都のもっとも西北のこのへんは北嵯峨野とか
奥嵯峨野とかいわれている。
いまだから車も通行し、住宅も立ち並んでいるが、京都
が都になる以前、この辺りの野山は葬送の場所であった。
愛宕念仏寺から徒歩で南へと下ると路傍にいくつも石仏
があった。地蔵様のようだ。
野山にあった無縁仏の石を集めて弔っているのが化野念
仏寺である。その数八千以上という。
小径はゆっくりと下り、あゆ料理屋として歴史のある平
野屋の前を通る。
なんか高そうな雰囲気。
こういうのはあんまり好きではない・・・というか金が
ないから縁がない。
道はいつの間にか石畳になり、家々も豪華なつくりが目
につくようになると竹林が現れ、化野念仏寺の入り口と
続いていた。
入口わきに受付があり、拝観料500円を納めて入る。
中の係の方は窓がいやに小さく拝見できなかった。
あまり会話をしたくない雰囲気がただよっている。
見てのとおりのすごい光景。
先にも書いたが歴史がまだ始まらない頃は遺体は風葬
であった。弥生時代から甕棺に収めて葬るようになっ
たがこれはごく一部の人々だけで、一般人は野山に捨
てられていた。
時代が移り仏教が信じられるようになってから人々は
石仏・石塔を立て、死者の霊を慰めるようになった。
そしてまた時が流れ、いつしか無縁となった石はこの
あたりに散乱埋没していたが、明治の中ごろ地元の人
々の協力を得てこの寺に集めて釈迦の教えを聞く人々
になぞらえて配列安祀しているそうだ。
地蔵盆(毎年8月23日・24日)には千灯供養とい
って、それぞれの石塔にロウソクの灯りが供えられる。
お寺のウェブサイトより
京都の夏の風物詩になっているらしい。
本堂の前に整然と置かれて、賽の河原になぞらえ西院
の河原と書かれてあった。
化野と書いて「あだしの」と読む。ばけの・・・では
ない。寺のリーフレットによると、あだしとは、はか
ない、むなしいという意味で、生が死へと化すること
を意味してもいる。逆に輪廻転生でこの世に生まれか
わることにもつながる。
西行法師の歌
留るべきかはあだし野の
草の葉毎にすがる白露
本堂の左手に水子地蔵がありその奥に竹林が続いてい
て、六面地蔵の案内があった。
六面地蔵はこの念仏寺の檀家さんのお墓の守り仏とし
てここに建てられている。
本堂に戻ろう。
本尊阿弥陀如来座像が端正なお顔で会ってくれた。
鎌倉時代の湛慶の作だそうだ。
なかなかいいお姿ではないだろうか。
寺伝によると開創は弘法大師で野ざらしとなっていた
遺骸を集めて埋葬し、如来寺として始まったとか。
その後、法然上人の念仏道場になり、現在も浄土宗
に属しているとか。
寺務所の縁側がお正月らしく飾られていた。
雪が相変わらず降ってはいるが、積もるほどではなく、
京都の寺めぐりを凛としたものにしてくれている。
次のお寺は祇王寺で、ここから徒歩で20分ほどであ
る。
その1、愛宕(おたぎ)念仏寺はコチラ
14日の月曜日、朝からの雨は雪に変わり、さいた
までも10センチの積雪になった。
テレビでは雪に弱い首都圏をアレコレ紹介していた。
とくに、振り袖を着て長靴で歩いている新成人の映
像は少し可哀そうであった。
さて、1月4日の京都でのお寺めぐりは、化野念仏寺に
移った。京都のもっとも西北のこのへんは北嵯峨野とか
奥嵯峨野とかいわれている。
いまだから車も通行し、住宅も立ち並んでいるが、京都
が都になる以前、この辺りの野山は葬送の場所であった。
愛宕念仏寺から徒歩で南へと下ると路傍にいくつも石仏
があった。地蔵様のようだ。
野山にあった無縁仏の石を集めて弔っているのが化野念
仏寺である。その数八千以上という。
小径はゆっくりと下り、あゆ料理屋として歴史のある平
野屋の前を通る。
なんか高そうな雰囲気。
こういうのはあんまり好きではない・・・というか金が
ないから縁がない。
道はいつの間にか石畳になり、家々も豪華なつくりが目
につくようになると竹林が現れ、化野念仏寺の入り口と
続いていた。
入口わきに受付があり、拝観料500円を納めて入る。
中の係の方は窓がいやに小さく拝見できなかった。
あまり会話をしたくない雰囲気がただよっている。
見てのとおりのすごい光景。
先にも書いたが歴史がまだ始まらない頃は遺体は風葬
であった。弥生時代から甕棺に収めて葬るようになっ
たがこれはごく一部の人々だけで、一般人は野山に捨
てられていた。
時代が移り仏教が信じられるようになってから人々は
石仏・石塔を立て、死者の霊を慰めるようになった。
そしてまた時が流れ、いつしか無縁となった石はこの
あたりに散乱埋没していたが、明治の中ごろ地元の人
々の協力を得てこの寺に集めて釈迦の教えを聞く人々
になぞらえて配列安祀しているそうだ。
地蔵盆(毎年8月23日・24日)には千灯供養とい
って、それぞれの石塔にロウソクの灯りが供えられる。
お寺のウェブサイトより
京都の夏の風物詩になっているらしい。
本堂の前に整然と置かれて、賽の河原になぞらえ西院
の河原と書かれてあった。
化野と書いて「あだしの」と読む。ばけの・・・では
ない。寺のリーフレットによると、あだしとは、はか
ない、むなしいという意味で、生が死へと化すること
を意味してもいる。逆に輪廻転生でこの世に生まれか
わることにもつながる。
西行法師の歌
留るべきかはあだし野の
草の葉毎にすがる白露
本堂の左手に水子地蔵がありその奥に竹林が続いてい
て、六面地蔵の案内があった。
六面地蔵はこの念仏寺の檀家さんのお墓の守り仏とし
てここに建てられている。
本堂に戻ろう。
本尊阿弥陀如来座像が端正なお顔で会ってくれた。
鎌倉時代の湛慶の作だそうだ。
なかなかいいお姿ではないだろうか。
寺伝によると開創は弘法大師で野ざらしとなっていた
遺骸を集めて埋葬し、如来寺として始まったとか。
その後、法然上人の念仏道場になり、現在も浄土宗
に属しているとか。
寺務所の縁側がお正月らしく飾られていた。
雪が相変わらず降ってはいるが、積もるほどではなく、
京都の寺めぐりを凛としたものにしてくれている。
次のお寺は祇王寺で、ここから徒歩で20分ほどであ
る。
by katodiary
| 2013-01-16 13:28
| 旅に出よう
|
Comments(0)