2014年 02月 28日
尾瀬ヶ原 |
最初に尾瀬に行ったのは、大学1年の夏だった。
大学は入るとすぐにストライキになり、授業は停止。
哲学科のクラスでは生徒だけの討論会や自主学習会
が開かれた。それらを主宰するメンバーはストをし
ている意味を皆で考え行動しようというグループで
あった。
ともに街頭に出た。
哲学科ニュースを作って級友に郵送もした。
そして級友同士の親睦も図ろうと、ハイキングや河
原でバーベキューをしたりした。
こうしたリーダーの一人が若い登山家であった。写
真家の白旗史郎の助手としてヒマラヤなどにも行っ
ていた。
彼が哲学科の山の会を作ろうと言いだし、その初夏
に登った山が尾瀬ヶ原だった。
コースは戸倉から富士見峠に向けて歩き、アヤメ平
を見て、長沢新道を下り、中田代の竜宮に出る。
そこから西に進路をとり原を縦断、山の鼻でテント
を張る。
この頃(40年前)の木道は単線の場所も多く、む
こうから若いハイカーが来ると先頭がジャンケンを
して勝ったほうが、中央を通り、負けたほうは脇に
よって、ギリギリ落ちないようによけたりした。
場所によっては木が腐り、靴を濡らして通るところ
もあった。
私はここで、テント泊や食事づくりのノウハウを学
んだ。
翌日は目の前の至仏山を登った。
7月頃の至仏山とニッコウキスゲ
いまは、山の鼻からは登れない。登山者の靴によっ
て岩や地層が崩れやすく、高山植物の植生が乱れた
りしているそうだ。
山の鼻からの至仏山はほとんど直登でキツイ。なに
しろテントなどを背負っているからだ。
下から登っていくと、ぐんぐん原が遠くなり、遠く
の燧岳の高さに近くなってくる。そしてあれが頂上
かと思えるピークが出てくる。
そこまで行くと、またピークが見える。
これの繰り返しで、合計すると5回めくらいのピー
クが頂上であった。
標高は2228、9mである。
頂上にいくまでにいくつも雪田がある。ここで持っ
てきたピッケルを使い、雪上訓練をした。
グリセードといって、左腰の脇にピッケルを構え、
それを雪面に刺し、両足を張って下っていく。
30mくらいは一気に滑る。あまり行くと戻ってく
るのがシンドイ。
次は転倒して落ちたときの滑落停止だ。
仰向けで脚を下にして滑り落ち、胸にピッケルをし
っかり構えて体勢をひっくり返して先端を思い切り
雪面に差し込む。そのとき全体重をピッケルに乗せ
ないと止まらない。
下ではリーダーが待ち、止めてくれるが。
至仏山からは尾瀬ヶ原には下らず、南へと向かい、
深い雪を踏みながら小至仏山を通り、鳩待峠に向か
う。
ときどき雪道を踏みぬいて50センチも落ちること
がある。脚を抜くのに一苦労する。
鳩待からは例のマイクロだ。
確か6月の中旬だったと思うが楽しい山行であった。
燧ヶ岳
大学は入るとすぐにストライキになり、授業は停止。
哲学科のクラスでは生徒だけの討論会や自主学習会
が開かれた。それらを主宰するメンバーはストをし
ている意味を皆で考え行動しようというグループで
あった。
ともに街頭に出た。
哲学科ニュースを作って級友に郵送もした。
そして級友同士の親睦も図ろうと、ハイキングや河
原でバーベキューをしたりした。
こうしたリーダーの一人が若い登山家であった。写
真家の白旗史郎の助手としてヒマラヤなどにも行っ
ていた。
彼が哲学科の山の会を作ろうと言いだし、その初夏
に登った山が尾瀬ヶ原だった。
コースは戸倉から富士見峠に向けて歩き、アヤメ平
を見て、長沢新道を下り、中田代の竜宮に出る。
そこから西に進路をとり原を縦断、山の鼻でテント
を張る。
この頃(40年前)の木道は単線の場所も多く、む
こうから若いハイカーが来ると先頭がジャンケンを
して勝ったほうが、中央を通り、負けたほうは脇に
よって、ギリギリ落ちないようによけたりした。
場所によっては木が腐り、靴を濡らして通るところ
もあった。
私はここで、テント泊や食事づくりのノウハウを学
んだ。
翌日は目の前の至仏山を登った。
7月頃の至仏山とニッコウキスゲ
いまは、山の鼻からは登れない。登山者の靴によっ
て岩や地層が崩れやすく、高山植物の植生が乱れた
りしているそうだ。
山の鼻からの至仏山はほとんど直登でキツイ。なに
しろテントなどを背負っているからだ。
下から登っていくと、ぐんぐん原が遠くなり、遠く
の燧岳の高さに近くなってくる。そしてあれが頂上
かと思えるピークが出てくる。
そこまで行くと、またピークが見える。
これの繰り返しで、合計すると5回めくらいのピー
クが頂上であった。
標高は2228、9mである。
頂上にいくまでにいくつも雪田がある。ここで持っ
てきたピッケルを使い、雪上訓練をした。
グリセードといって、左腰の脇にピッケルを構え、
それを雪面に刺し、両足を張って下っていく。
30mくらいは一気に滑る。あまり行くと戻ってく
るのがシンドイ。
次は転倒して落ちたときの滑落停止だ。
仰向けで脚を下にして滑り落ち、胸にピッケルをし
っかり構えて体勢をひっくり返して先端を思い切り
雪面に差し込む。そのとき全体重をピッケルに乗せ
ないと止まらない。
下ではリーダーが待ち、止めてくれるが。
至仏山からは尾瀬ヶ原には下らず、南へと向かい、
深い雪を踏みながら小至仏山を通り、鳩待峠に向か
う。
ときどき雪道を踏みぬいて50センチも落ちること
がある。脚を抜くのに一苦労する。
鳩待からは例のマイクロだ。
確か6月の中旬だったと思うが楽しい山行であった。
燧ヶ岳
by katodiary
| 2014-02-28 13:05
| 山に行こう
|
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