2017年 01月 23日
白洲正子を読む |
今日、3回目の投稿である。
国立博物館、樂野寺展、甲賀、かくれ里とつなが
って白洲正子に辿りついた。
かくれ里は随筆家の正子が芸術新潮に書いた京都
のまわり、滋賀近江、越前、美濃、吉野・葛城、
伊賀・甲賀を旅したエッセーである。
彼女の造詣が深い能、舞い、面、陶磁器、民芸そ
れに神社仏閣と人々の信仰を通して、かくれ里に
ある我々の宝を見つけようとしたものである。
彼女はいう。
この田作の田踊りの面は、伎楽の呉公の面と瓜ふ
たつと言ってよく、伎楽が遠くギリシャの詩劇か
ら西域を経て中国・朝鮮経由でわたってきた芸能
であるとするなら、外国では滅びてしまったその
伝統が日本の片田舎にこうして生き残っているこ
とに私は、不思議な宿命を感じた。
そういう意味では、日本の国そのものが、世界の
かくれ里的存在といえるのではないだろうか。
まさにコレである。
私たちは外国から習い、習っている間に独自の形
を創り上げていった・・・とも書いている。
油日神社に残されている面と、伎楽の呉公の面を
見てみよう。
田作福太夫神ノ面(桜宮聖出雲作)
伎楽・呉公の面
呉公の面は古本からであるが、とてもよく似てい
る。こうしたものは何十年も面を見てきた人しか
ピーンとは来ないものだろう。
それに、彼女は福田夫の面を作った桜宮聖をたし
かな面づくりの知識と腕を持った人物と評してい
る。
永正五年(1508年)製の銘があるので、戦国
のころ、まだ信長が生まれる前の話だ。
そうした人物が京のどこかで彫り、頼んだ神社に
届けられたのではないか。
今はもう廃れたが、油日神社には田作りの伝統芸
能があって、村人の講で田の畔などで踊られたで
あろうことや、その際にともに使われたであろう
ずずいこ様の木製の人形もいまだにこの社に大切
に守られていることを紹介している。
村人の講はいまでも続いていて、そうした伝統を
切れ切れながらも守ろうとしている姿にかくれ里
の美しさを見出していく。
彼女は油日神社の神主さんに、樂野寺も近くだか
ら見ていくように勧められ、立ち寄る。
私が見た十一面観音は秘仏であったので、その折
りには見られなかったそうだが、きっとご開帳の
ときに拝観したであろう。
まことに中味の濃い旅の随筆であり、この本を片
手に寺や神社、古い街などを歩く人も多いそうだ。
私も白洲正子の世界をもっと覗いてみようと思う。
日本人のなにかを知ってそれを味わえることがで
きるかもしれない。
・
国立博物館、樂野寺展、甲賀、かくれ里とつなが
って白洲正子に辿りついた。
かくれ里は随筆家の正子が芸術新潮に書いた京都
のまわり、滋賀近江、越前、美濃、吉野・葛城、
伊賀・甲賀を旅したエッセーである。
彼女の造詣が深い能、舞い、面、陶磁器、民芸そ
れに神社仏閣と人々の信仰を通して、かくれ里に
ある我々の宝を見つけようとしたものである。
彼女はいう。
この田作の田踊りの面は、伎楽の呉公の面と瓜ふ
たつと言ってよく、伎楽が遠くギリシャの詩劇か
ら西域を経て中国・朝鮮経由でわたってきた芸能
であるとするなら、外国では滅びてしまったその
伝統が日本の片田舎にこうして生き残っているこ
とに私は、不思議な宿命を感じた。
そういう意味では、日本の国そのものが、世界の
かくれ里的存在といえるのではないだろうか。
まさにコレである。
私たちは外国から習い、習っている間に独自の形
を創り上げていった・・・とも書いている。
油日神社に残されている面と、伎楽の呉公の面を
見てみよう。
田作福太夫神ノ面(桜宮聖出雲作)
伎楽・呉公の面
呉公の面は古本からであるが、とてもよく似てい
る。こうしたものは何十年も面を見てきた人しか
ピーンとは来ないものだろう。
それに、彼女は福田夫の面を作った桜宮聖をたし
かな面づくりの知識と腕を持った人物と評してい
る。
永正五年(1508年)製の銘があるので、戦国
のころ、まだ信長が生まれる前の話だ。
そうした人物が京のどこかで彫り、頼んだ神社に
届けられたのではないか。
今はもう廃れたが、油日神社には田作りの伝統芸
能があって、村人の講で田の畔などで踊られたで
あろうことや、その際にともに使われたであろう
ずずいこ様の木製の人形もいまだにこの社に大切
に守られていることを紹介している。
村人の講はいまでも続いていて、そうした伝統を
切れ切れながらも守ろうとしている姿にかくれ里
の美しさを見出していく。
彼女は油日神社の神主さんに、樂野寺も近くだか
ら見ていくように勧められ、立ち寄る。
私が見た十一面観音は秘仏であったので、その折
りには見られなかったそうだが、きっとご開帳の
ときに拝観したであろう。
まことに中味の濃い旅の随筆であり、この本を片
手に寺や神社、古い街などを歩く人も多いそうだ。
私も白洲正子の世界をもっと覗いてみようと思う。
日本人のなにかを知ってそれを味わえることがで
きるかもしれない。
・
by katodiary
| 2017-01-23 12:59
| 旅に出よう
|
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